2007年 12月 11日
2007年もあと3週間です。 香港の気温は15-22℃というところ。 1月末から2月くらいが一番寒くなりますが、せいぜい10℃。 それでも街では革ジャン、コート、ダウンまで来ている人が歩いています。 でも北からは(北京、天津、大連とか)相当寒くなったと聞こえてきます。 天津でイベント(北京出張所勤務の後輩が天津美人と結婚する)があり、同僚と連れ立って出かけてきました。 ホテルにチェックインよりまずやること、さっそく甘栗を買いにゆきました。 日本人は子供の頃からお祭りの屋台なんかで天津甘栗を見ているので、天津は甘栗が名物なのだと考える人が多いと思います。 僕も初めて天津に来たときからそう思っていまして、今もそう。 それと日本には天津の名前がついた有名な中華料理がありますが、中国に来てもそんな名前の料理はないです。(天津にも天津丼はありません。) 天津という名前が日本で有名すぎたことによる問題ですね。 今回はちょっと栗と天津について勝手に考えこみました。(栗が先です。) 甘栗は栗が収穫される秋から冬に掛けて中国文化圏のあちこちで食べられている、とお友達のブログで話したことがありました。 香港でもシンガポールでもシンセンでも道端で売っています。 でも“天津甘栗”という名前は日本でしか使われていませんね。 なぜかというと天津が栗の一大産地であるわけではなく、過去に日本向け船便輸出の港だったからだという流通上の事情によるからでしょう。 天津は農業地帯ではなく工業地帯です。 農産物、原料・製品を輸出入する大きな貿易港の有る街。 戦前はフランスに租借されていたので中心街には古い西洋館が並ぶ美観地域があります。 でも広大な栗林は見あたりません。 人口1千万人前後はいるらしいです。 らしい、、、中国では正確な登録人口は認識しても仕方ないようにも思えます。 ここでは百万人は誤差許容範囲かと思えますから。 で、北京、上海、重慶、南京と並んで特別市という位置づけになっています。 でも北京のように政治的に整理されてもおらず、上海のように国際的に磨かれてもいません(ごめん天津)。 ここにはものすごくたくさんの人間がいて、冬はとんでもなく寒くて練炭を焼く臭いがたちこめ、道には自転車と車と人間が溢れています。 ぼくが昔から持っている中国らしいイメージの中国がまだここに見られます。 さて栗は天津に近い(といってもかなり広範囲)農業地帯で収穫され、天津に集められて国内外に輸出されました。 日本でも中国から大量の栗を輸入している時期があったようです。 栗の入った麻袋に“天津”と表示されているのを見た日本人はなんと大量の栗だと驚いて、天津を栗の大生産地と勘違いしたのでしょう。 そこで“天津栗”ではなく“天津甘栗”が四文字熟語レベルに常用化したのはもう少しストーリーがあるのでしょうけど、ここからは推測です。 日本でも昔から栗は食べていたはずです。 でも食べ方は違っていたと思います。 いつか中国の食べ方が日本に伝わってきたのではないでしょうか。。。 窯や寸胴のなかに焼いた小石を入れて栗を蒸し焼き(石焼)にして食べる。 これを日本人がまねをしたのか、日本に来た中国の人が街で売り始めたものか。 そういうことではなかったかと想像します。 日本では縄文時代にドングリを食用にするために土器でゆでていました。 ドングリの場合、ゆでることで灰汁を取って食べやすくしたわけです。 だから栗など木の実をゆでて食べるというのはあったのだろうと想像できます。 ゆでる食べ方では栗の渋皮が取りにくく、短時間で実をきれいに食べるのはむずかしいですよね。 焼いたカチグリが保存の利く食料としてあったので、焼いて食べてもいたでしょう。 もちろん、栗は皮ごと焼くと“猿かに合戦”にあるように空気が急膨張して皮が破裂し、猿に当たったというように危険なので皮を剥くことになったのではと思います。 最初に河豚を食べた人の落語噺ではないですが、最初には栗を火にくべて痛い思いをした人がいたかも知れません。 そこに中国から石焼という調理法が伝わってきて、どうなったか。 同じ焼くのでも石を伝わった熱で焼く栗は皮を剥かなくても破裂せず、渋皮もとりやすくなっているので、実全部を効率よく食べることができますね。 石に蜜や糖水を混ぜると甘味が栗に適度にしみこんで、栗の甘味が増します。 甘い食べ物はいつの時代も、どんな場所でも好まれたと思います。 こうして甘栗は天津という名前とともに日本で浸透したのではないでしょうか。 というのが勝手に考えた天津甘栗ストーリーです。 で、天津の人たちは甘栗が好ききなのか、ですね。 ようやく“天津の”甘栗です。 天津ではけっこう有名な甘栗屋さん 「小宝栗子(シャオパオリィツ)」。 栗の袋を見ると天津の市内に10軒ほどチェーン店があるようです。 でも天津甘栗とは書いていません。 栗の値段は値段表を見ると5種ほどあり、栗が大きいほど高くなっているといいます。 これは香港の乾物屋でみる干貝柱と同じだな、と妙に納得。 500gで8人民元(120円)から13人民元(200円)くらいまで幅があってどれを買おうかとみんなで話していたんですが、実はその日の栗の相場で決まるみたいです。 この日は栗の値段は1種類のみ、11人民元(だいたい170円)ということでした。 お客は絶えず、栗は何度も足されていました。 店ではこざっぱりと赤いユニフォームでオバちゃんたちが量り売りしてくれます。 左にあるのはサンザシの実に果物や小豆を挟んで串に刺し、飴をかけたスイーツ(?)。 これも食べましたけど、あんこの入った柔らかめのりんご飴、、、想像できますか? まず、けっこう甘いので子供はよろこぶと思います。 ま、結論ですが、天津の人たちは栗は好きなようです。 といって、中国の他の地域に比べて栗が好きな人たちということではありません。 普通に好き、というところでしょうか。 栗、栗、、、息子に2袋、会社のスタッフに1袋 買って帰りました。 安価なお土産ですが帰路は1.5kgの荷重アップ。 6袋買った同僚は3Kgの荷重アップ。 息子は僕以上に甘栗好きなので皮を剥く面倒もなんのその、毎日学校から帰って来ると せっせと食べているのでこの2~3日で栗は確実に減っています。 学校への弁当にデザートのように剥いた甘栗をいくつか入れて行ったりもしています。 さて石焼きですけど、石を焼いてその熱で調理するってあちこちにありますね。 焼いた石を鍋に入れて調理するとか、焼いた石プレートの上に肉を載せて焼くステーキとか、バナナの葉で肉や野菜を包んで焼いた石と一緒に穴に埋めて蒸し焼きにするとか。 石焼芋が甘栗と焼き方が似ている感じですね。 香港や広州でも薩摩芋のような甘藷を石焼にして甘栗のように道端で売っているのを見たことがあります。 こうした料理法は中国には昔からあったんでしょうかね。 天津という街ですが、、、1月にまた天津に行くことになりそうなので今度にしておきます。
by yutakah9
| 2007-12-11 14:45
| 中国本土
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