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サラリーマン桃太郎の散歩

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2006年 08月 20日

OM-1である理由(閑話休題)

僕の年代だと一眼レフのどれかのファンだったという人がけっこういると思います。
キャノンだったり、ニコンだったり、ペンタックスだったり。
僕にとってそれがOM-1なのは僕がそうした一人であったこと、僕のOM-1ストーリーがあるからです。

初めてカメラに触ったのは小学5年生ごろだったと思います。
今から33-4年くらい前になるのかな。
当時、学習雑誌「5年の科学」についてたピンホールカメラ。
印画紙に直接写すセットで自分で現像するようになってました。
もちろん自宅に暗室なんかないから夜、物置で。
できあがった写真はなにが写っていたかおぼえてません。
でもたぶん光が入ったのだろうけどひどい出来でがっかりしたなぁ。
今思えば、置いとけば貴重なトイカメラだったのですねぇ。

で、そのころから父のカメラ Canon Demiに興味しんしん。
そんな自分に父はカメラの使い方を教えてくれました。
絞りとシャッタースピードで光の量をコントロールして距離を目測。
Demiはフルマニュアルのメタルカメラ。

Demiはハーフサイズだから36枚撮りを入れると72枚以上撮れます。
当然小学生には自分のお小遣いでフィルムは買えません。
運動会のあととか父が撮り残しにした10枚ほどで妹や友達を撮りました。
それから近所の写真館(DPEではない)にフィルムの現像を頼みます。
カラーはフジやコニカの現像所に送られるので1週間くらいかかりましたっけ。
カラー写真は高いから(当時サービス版で50円くらい)ネガを見て焼く写真を選びます。
その頃は失敗した写真を焼きたくないから同時プリントは考えません。
自分の撮った写真も2枚か3枚焼いてもらえると嬉しかった。
僕の撮った写真はそんなものしかピントも構図もまともじゃなかったんですね。

中学に入ると週1回の必修クラブに写真部がありました。
父に頼んでDemiを借りて写真部に入れてもらいました。
いま考えると当時のカメラは電池不要。
電池を買わなくていいのは中学生にもってこいでしたね。
当然、友達みんな家のカメラを借りてきていて使うのはモノクロ。
慣れてくると共同で100feetを買って使い古しのパトローネに詰めて使いました。
フィルム代を節約できるし、ときどき40枚撮りとかになってしまう。
Demiだと80枚撮り、すごいでしょ。
得したぁ~って思ったな。

中学の写真部で自分でフィルムを現像することからプリントを焼くことまでおぼえてゆきました。
理科室の準備室にある暗室で現像タンクにフィルムを入れて自家現像。
そう暗室です、何の心配もない、暗室です。
授業で使う棒温度計で現像液の温度を測って停止液までの時間を判断。
現像液、停止液、定着液と理科室にあるビーカーにいれて準備。
棒温度計はビーカーごとに1本、贅沢に使いました。
完成した薄紫のモノクロネガに黒く像がでてきます。
乾燥させながらピントや光量をチェック。
乾燥できたネガは写真館から分けてもらったネガシートに入れて大切に保管。
次の週が焼きつけになるのでつまり撮影、現像、焼付けで3週間。
ほんとにスローカメラでしょ。

そうするうちに友達の使っているカメラが気になり始めます。
35mmフルの写真が撮りたくなるし、わずかだけど一眼レフを持ってる友達もいる。
当然、みんな家のカメラなんだけど、自分も一眼レフが欲しくなってきます。

で、ふたたび父に相談しました。
「どれが欲しいのか、よく勉強しろ。」
「こづかいを無駄使いせずに貯めてみろ。」と言われたとき、少し希望が見えました。
となると当然中学生は値段の安い一眼レフから探し始めます。
ヤシカとかペトリとか。
でもテレビではペンタックスのコマーシャルが流れてる。
雑誌カメラマンにはキャノンやニコンの広告が華やかだ。
メジャーなカメラが欲しいと思うころです。

そんななかで衝撃的だったのはオリンパスOM-1のテレビCM。
”早朝、登山に出かけようとする少年が兄のOM-1を手にして戻す。
ベッドの中の兄から「持ってっていいぞ。」の一言。
世界最小最軽量の一眼レフ”
当然、カメラマンにも毎月広告が載ります。
当時の多くの中高生同様にハートを鷲づかみにされましたね。

さてオリンパスのカメラはメジャーなのか、と考えるんです、ここで。
オリンパス   そうか顕微鏡の会社だと思いましたね。
理科準備室に木箱にはいって一杯並んでる、、、暗室は理科準備室にありますからね。
いつも授業で使ってるじゃないか、なんだなじみのある会社だと思うわけです。
きっと技術もある会社なんだと思ったりして、かなり安心。
めちゃ単純でしたけど、技術的には確かで個性的な会社だと今も思っています。

中学生は次に写真部の顧問の先生のところに行きます。
田舎の中学生には顧問の先生は近所のおっちゃんみたいな存在なのでけっこう平気。
顧問の先生は国語の先生だったけどお構いなしで質問です。
「オリンパスのカメラはいいカメラなん?」(松坂のようにズバっと直球!)
「いい。とてもいい。ペンといういいカメラを作っとる。」(松井打ち返す カキィーン!)
でその日からOM-1はどうしても手に入れたい憧れになりました。

お小遣い?
貯めましたよ。
お年玉も全部、フィルム代と印画紙代以外は全部、貯金箱行きでした、1年半くらい。
そうそう印画紙は月光でしたね、ゲッコール。
OM-1 シルバーに50mmF1.8がついて5万6千円だったと思う。
ブラックは6万1千円だったかな、この差はずいぶん高いハードルでした。
貯まったお金は半分くらいにしかなりませんでしたけど、とにかく父に報告。
中学2年の冬、父は街のカメラ屋さんにつれていってくれました。
ベルボンの三脚、それからskylight filterをいっしょに買ってくれてOM-1は僕のものになりました。

以来、下手の横好きでシャッター切っては、一喜一憂。
その後、いろんなカメラを使ったし、買いました。
でも最初の1台にOM-1を選んだこと、今でも手元にOM-1があることは嬉しいことです。

今日は写真掲載ありません。

by yutakah9 | 2006-08-20 11:16 | JET STREAMが好きでした


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