サラリーマン桃太郎の散歩

yutakah9.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:JET STREAMが好きでした( 3 )


2007年 08月 24日

2007夏遠征でMaid of the Mistに乗ったワケ

人間、何が幸いするかしれやしない。
お客さんの都合で何度も予定が変った北米出張。
ついに飛行機の予約が思うように取れない事態になり仕方なく1日早く、少しお高いキャセイで出かけることになった。
おかげでパーソナルTVはついてるし(UAの香港-USA便はついていない)、香港からロサンジェルスに入るけど最終訪問地のトロントから香港にまっすぐ帰れる便があった。
禍福はあざなえる縄の如し、悪いことがあれば良いこともある。
そして良いことも有れば悪いこともある。
トロント発時刻は午後11時30分、まるまる1日待つことになった。
泊まっているノボテル・ノースヨークは正午12時にはCheck outだし、11時間どうする。
それに12時まで寝ているのか、と、ちょっと考えた。

同行したNさんとYさんは午前便でダラスと日本に帰るのに僕を気にしてカナダのKさんに相談してくれていた。
相談の結果、ローカルのツアーでナイアガラを見ておいでという。
日系ツアーだとUS$400かかるらしい。
ローカルだとUS$75だというので、お手ごろ値段でナイアガラを見られる。
午前9時出発で午後6時に戻ってくるというのも良い。
それなら自分ひとりでなにをしようかと考えるのは3時間くらいで済む。

金曜日の朝、香港は今頃金曜日の夜。(時差12時間)
トロント市内を走る地下鉄に乗って、都心にある集合場所ノボテルセンターに向かった。
地下鉄はデポジットカードか、現金で払う。
現金は透明のプラスチックの箱に¢75を放り込む。
けっこう進んでいないなぁ、と思った。
地下鉄は通勤時間だけど香港よりは空いている。
20分ほどで目的の駅について、外に出たけどもらった地図がいい加減で良くわからない。
ちょうど近くにいたお巡りさんにたずねるとやはり地図が間違っていた。

集合時間の10分ほど前についてコンシェルジュに費用を支払う。
レシートをもらってロビーで待っているとコンシェルジュが違うツアーのおじさんとやってきた。
僕の申し込んだツアーが来るのが遅れているらしい。
ツアーの内容も同じだし、同じ料金でよいからこちらで出発しないかという。
いつになるかわからないものを待つよりはと変更した。
おじさんは随分と喜んでくれたし、良かったかな。
バスに乗り込むとアメリカ人のおじいさんやおばあさん、なかに白人の若い女性が一人。
おばあさんたちは全員黒人で、とてもカラフルな服を着ていた。
全部で10人ほどの混成ツアーで、東洋人は僕だけだ。

すぐにバスは出発してハイウェイに乗った。
おじさんはドライバー兼ガイドをやるようで運転しながらツアーの案内を始めた。
カナダは世界でロシアに次いで2番目に国土が広い、ナイアガラはUSAのニューヨーク州とトロントのあるカナダ・オンタリオ州の境にあるらしい。

途中、ナイアガラのある国立公園内のいくつかの場所を回り、いよいよナイアガラ。
日本で見た滝といえば華厳の滝と鳩ノ巣渓谷の双頭の滝くらいしかなかったのだけど、全く物が違った。
滝というよりオンタリオ湖の縁が壊れてあふれ出した洪水だ。
その水の量たるやどうして何百年も流れ続けられるんだ、、、と思わずにいられなかった。

f0071767_19254553.jpg


f0071767_19261360.jpg


f0071767_19264085.jpg


f0071767_19271467.jpg


肩掛けバッグに放り込んでいったOM-1で写真を撮る。
あっという間にフィルムが無くなっていく。
霧の乙女号(Maid of the Mist)で滝に近づくと強風と水煙で大変な状態。
カメラに水がかかるのが気になるけど、あとからしっかり拭くことにしてシャッターを押した。

船を下りてからナイアガラのある街を歩き、街の写真を撮ってゆく。
まるで遊園地のような街で、通りにはいろんな見世物小屋のようなショップ、ビルの壁にはスパイダーマンやキングコングがいて、バーガーキングの屋根にはでかいフランケンシュタイン。
暑い夏の日だけどナイアガラのある街ではみんなリラックス、ニコニコして歩いている。
街中にマイナスイオンが発生しているんじゃないか。

移動して滝を上から望める公園に行くと、たくさんの見物客が滝に見入っていた。
一度、下まで落ちた水が水煙になって滝より高い雲のようだ。
見下ろすと虹がかかっている。
気が変ってモノクロで撮って歩いていった。
ネオパンSS ISO 100。
ACROSより荒めの粒子がどんなふうにこの風景を写し取るんだろう。
強い光に溢れたこの場所から色を落とした絵はどんなふうに出来上がるんだろう。
すごくわくわくした。
そうこうしているうちに3組の外人さんにカメラのシャッターを押してくれと頼まれた。
バスに戻ってそのことをいうとガイドのおじさんが僕のOM-1を見て大笑いした。

昼食はそれぞれが好きに食べに行く。
一人でレストランに入る気もしなかったので、ローカルのホットドックショップにいった。
熱いソーセージをパンにはさんでケチャップとマスタードだけのものだけどうまかった。
アメリカのパンとチーズだらけの食事があまり好きではない僕にしては珍しいことなんだけど、ナイアガラで遊んでいるから気分がハイになっていたかもしれない。
ナイアガラにいたのは4時間くらいだった。

最後の立ち寄り先はカナダワインのショップによって、帰途についた。
バスのなかで花の冠を被っている黒人のおばあさんに話かけられた。
どこから来たのかと聞かれて香港だと応えるとそれ以上は聞かず、香港に何度も行ったことがある、香港がどれくらい好きかという話をしはじめた。
若い頃に中国にダムを作る会社に勤め、中国にも何度か行ったそうだ。
そしてアフガニスタンにも住んだことがあるとも話してくれた。
30分ばかり話をして、「nice to meet you」といって自分の席に戻っていった。
あのおばあさんには永遠に僕は香港人なんだろうな。

帰りの道は通勤帰宅する車で少し道が混んでいた。
雨が降ったり、また晴れたりするなか午後5時過ぎには出発した場所に戻ってきた。
そこで少しトロントの街の写真を撮って、地下鉄で自分のホテルの戻った。
朝と違って学校から替える学生や、親子連れが見られた。
8月トロントは午後8時でも空が明るい。
6月から7月は9時でも明るかったそうだ。

まだまだ時間があって、空港に4時間くらいいた。
飛行機は飛び立って5時間後くらいにアンカレッジに給油着陸。
1時間半ほどして再離陸。
金曜日の夜11時30分にトロント発。
トロントを出て18時間後、日曜日の朝7時に香港空港に着いた。

長い長い土曜日の翌週は土曜日が消えた。

待機時間の長い出張だったけど幸か不幸か得がたい体験をすることができた。
五大湖のひとつオンタリオ湖をプロペラ機で飛び越えて、バスでナイアガラを見に行くなんて、行きたいと思ってもできないしな、と。


*遊園地みたいな街やモノクロはこれからアップします。
[PR]

by yutakah9 | 2007-08-24 19:22 | JET STREAMが好きでした
2007年 07月 05日

桃次郎くん

最近、フィルムは溜まってますがDPEにいけてません。
今日ようやく預けてきました。
みんな暑いので写真撮るペース落ちてるよね。
とか、自分に言い訳を与えてます。

今は家内と中学生の息子(仮称:桃次郎)の3人暮らし。
中学生の息子っていうのはけっこう取り扱いがやっかい。
子供のくせにえらそうに、僕が説教したら反論を企ててくる。
実にいたらない論理構成なので軽く叩き潰してあげていますが。
懲りないね、毎日向かってきます。
そんなときは桃次郎がかわいらしかった頃を思い出して気を鎮め、根気強く説教に戻ろ。

桃次郎は小さいころ絵本が好きだったのでいっしょに図書館通いしました。
幼くして活字(絵本)中毒ですね。
毎週5冊くらいづつ借りてるから年間200冊くらい読んでる?? 
読んでたな、いや、ぼくが毎晩一冊づつ読まされてたから、、、
そんな数の本、買ってやれませんよ。
置いておくところもない。
図書館、ほんとにありがとう。

大好きだったのは14匹のねずみシリーズ、ぞうのババール。
だんだん本に感情移入もできるようになりました。
傑作だったのは小学校の国語の教科書に載っていた「スーホの白い馬」。
家で音読の宿題をしながら涙ぐみ、声が震えていたのは小学校2年か3年のときかな。
国語の教科書読んで感動して泣くなんて、おもしろい息子でしょ?

そんな桃次郎が小学校のころ勉強も運動もドラえもん漫画学習シリーズがお気に入り。
意外なことを知っているので、なぜと聞くとドラえもんの漫画に書いているといいます。
漫画でもドラえもんの子供への影響力は侮れません。
でもどんどん新刊が増えますから小学校で終わり。

中学に入るとけっこう何にでも関心を持って読み始めます。
自分の好きな本も目に入る範囲においてある本もかたっぱしから読んでいます。
僕がカメラや写真の本、お茶の本、語学の本をテーブルの上においておくと知らない間に
読んでいる。
けっこうライカやオリンパスの古いカメラのこと詳しいです。
写真の撮り方は知らないくせにね。

中学に入った頃から僕が散歩に出ようとするとときどきD-50を持ってついてきています。
最近はなんだかだと僕に写真の話をしてきます。
最近、高校に入ったら写真部に入ろうかなと言いはじめました。
「だからお父さんのOM-1をひとつちょうだい。」
桃次郎にしてみたら3台もあるのだから、僕にひとつちょうだいくらいの気持ちなのでしょう。

OM-1をひとつって、、、キビ団子とは違うのだけど。

ま、写真部に入りたいのはいいかな。
黒か白か好きなほうを譲ってあげよかな。
それより4台目のOM-1を桃次郎と一緒に買いに行こうか。
そしたら桃次郎は違うカメラが欲しいというかも知れません。
それもいいような気がする。

カメラの使い方を教えないといけませんか。
フィルムの出し入れ、絞りとシャッター速度、順光と逆光、くらい。
[PR]

by yutakah9 | 2007-07-05 21:00 | JET STREAMが好きでした
2006年 08月 20日

OM-1である理由(閑話休題)

僕の年代だと一眼レフのどれかのファンだったという人がけっこういると思います。
キャノンだったり、ニコンだったり、ペンタックスだったり。
僕にとってそれがOM-1なのは僕がそうした一人であったこと、僕のOM-1ストーリーがあるからです。

初めてカメラに触ったのは小学5年生ごろだったと思います。
今から33-4年くらい前になるのかな。
当時、学習雑誌「5年の科学」についてたピンホールカメラ。
印画紙に直接写すセットで自分で現像するようになってました。
もちろん自宅に暗室なんかないから夜、物置で。
できあがった写真はなにが写っていたかおぼえてません。
でもたぶん光が入ったのだろうけどひどい出来でがっかりしたなぁ。
今思えば、置いとけば貴重なトイカメラだったのですねぇ。

で、そのころから父のカメラ Canon Demiに興味しんしん。
そんな自分に父はカメラの使い方を教えてくれました。
絞りとシャッタースピードで光の量をコントロールして距離を目測。
Demiはフルマニュアルのメタルカメラ。

Demiはハーフサイズだから36枚撮りを入れると72枚以上撮れます。
当然小学生には自分のお小遣いでフィルムは買えません。
運動会のあととか父が撮り残しにした10枚ほどで妹や友達を撮りました。
それから近所の写真館(DPEではない)にフィルムの現像を頼みます。
カラーはフジやコニカの現像所に送られるので1週間くらいかかりましたっけ。
カラー写真は高いから(当時サービス版で50円くらい)ネガを見て焼く写真を選びます。
その頃は失敗した写真を焼きたくないから同時プリントは考えません。
自分の撮った写真も2枚か3枚焼いてもらえると嬉しかった。
僕の撮った写真はそんなものしかピントも構図もまともじゃなかったんですね。

中学に入ると週1回の必修クラブに写真部がありました。
父に頼んでDemiを借りて写真部に入れてもらいました。
いま考えると当時のカメラは電池不要。
電池を買わなくていいのは中学生にもってこいでしたね。
当然、友達みんな家のカメラを借りてきていて使うのはモノクロ。
慣れてくると共同で100feetを買って使い古しのパトローネに詰めて使いました。
フィルム代を節約できるし、ときどき40枚撮りとかになってしまう。
Demiだと80枚撮り、すごいでしょ。
得したぁ~って思ったな。

中学の写真部で自分でフィルムを現像することからプリントを焼くことまでおぼえてゆきました。
理科室の準備室にある暗室で現像タンクにフィルムを入れて自家現像。
そう暗室です、何の心配もない、暗室です。
授業で使う棒温度計で現像液の温度を測って停止液までの時間を判断。
現像液、停止液、定着液と理科室にあるビーカーにいれて準備。
棒温度計はビーカーごとに1本、贅沢に使いました。
完成した薄紫のモノクロネガに黒く像がでてきます。
乾燥させながらピントや光量をチェック。
乾燥できたネガは写真館から分けてもらったネガシートに入れて大切に保管。
次の週が焼きつけになるのでつまり撮影、現像、焼付けで3週間。
ほんとにスローカメラでしょ。

そうするうちに友達の使っているカメラが気になり始めます。
35mmフルの写真が撮りたくなるし、わずかだけど一眼レフを持ってる友達もいる。
当然、みんな家のカメラなんだけど、自分も一眼レフが欲しくなってきます。

で、ふたたび父に相談しました。
「どれが欲しいのか、よく勉強しろ。」
「こづかいを無駄使いせずに貯めてみろ。」と言われたとき、少し希望が見えました。
となると当然中学生は値段の安い一眼レフから探し始めます。
ヤシカとかペトリとか。
でもテレビではペンタックスのコマーシャルが流れてる。
雑誌カメラマンにはキャノンやニコンの広告が華やかだ。
メジャーなカメラが欲しいと思うころです。

そんななかで衝撃的だったのはオリンパスOM-1のテレビCM。
”早朝、登山に出かけようとする少年が兄のOM-1を手にして戻す。
ベッドの中の兄から「持ってっていいぞ。」の一言。
世界最小最軽量の一眼レフ”
当然、カメラマンにも毎月広告が載ります。
当時の多くの中高生同様にハートを鷲づかみにされましたね。

さてオリンパスのカメラはメジャーなのか、と考えるんです、ここで。
オリンパス   そうか顕微鏡の会社だと思いましたね。
理科準備室に木箱にはいって一杯並んでる、、、暗室は理科準備室にありますからね。
いつも授業で使ってるじゃないか、なんだなじみのある会社だと思うわけです。
きっと技術もある会社なんだと思ったりして、かなり安心。
めちゃ単純でしたけど、技術的には確かで個性的な会社だと今も思っています。

中学生は次に写真部の顧問の先生のところに行きます。
田舎の中学生には顧問の先生は近所のおっちゃんみたいな存在なのでけっこう平気。
顧問の先生は国語の先生だったけどお構いなしで質問です。
「オリンパスのカメラはいいカメラなん?」(松坂のようにズバっと直球!)
「いい。とてもいい。ペンといういいカメラを作っとる。」(松井打ち返す カキィーン!)
でその日からOM-1はどうしても手に入れたい憧れになりました。

お小遣い?
貯めましたよ。
お年玉も全部、フィルム代と印画紙代以外は全部、貯金箱行きでした、1年半くらい。
そうそう印画紙は月光でしたね、ゲッコール。
OM-1 シルバーに50mmF1.8がついて5万6千円だったと思う。
ブラックは6万1千円だったかな、この差はずいぶん高いハードルでした。
貯まったお金は半分くらいにしかなりませんでしたけど、とにかく父に報告。
中学2年の冬、父は街のカメラ屋さんにつれていってくれました。
ベルボンの三脚、それからskylight filterをいっしょに買ってくれてOM-1は僕のものになりました。

以来、下手の横好きでシャッター切っては、一喜一憂。
その後、いろんなカメラを使ったし、買いました。
でも最初の1台にOM-1を選んだこと、今でも手元にOM-1があることは嬉しいことです。

今日は写真掲載ありません。
[PR]

by yutakah9 | 2006-08-20 11:16 | JET STREAMが好きでした